俺たちはプロ野球選手だった ~改編期特番レギュラー決定か?~

TBSが鉱脈を見つけたドキュメント”プロ野球選手がクビになった、その後”
今までは、「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」で、
プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達 ~作り手の意識が低すぎて残念!~(2010年12月30日)
プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達 ~プロは潔くないほうがよい?!~(2009年12月23日)
プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達 ~プロはプロ・・・厳しい道~(2008年12月31日)
プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達 ~プロ人生はギャンブル人生~(2007年12月31日)

毎年年末の恒例になっていた。

2011年3月24日は「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」
http://www.tbs.co.jp/program/souzetsujinsei_20110324.html
では、すでにプロ野球界から身を引いた選手を取り上げた。

印象に残ったのは、人がたくさんいた。
特に、ドカベンは衝撃的。
2度の離婚で、週3日の人工透析、自己破産。何がどうなってしまったのだろうか・・・

三浦貴とポンセは、トラックドライバー。
ブライアントは、14年も働かずに暮らせるほど儲けていたらしい。
そりゃそうだ、それぐらい活躍していたもんなぁ。
15歳の娘と1歳の息子というのも驚きだったけど。

河野博文は、高崎で農業をやっていた。
妻に先立たれた後に、ダイアモンドペガサス資金難で解雇・・・
いろいろな人生があるとはいえ、あまりに酷である。

福盛和男は、3年前にメジャーにまで行ったはずなのに、いつの間にか企業の営業マン。
それにしても福元英恵の健気さがたまらなかった。

プロの世界は厳しい。そんなことはわかっている。
それよりも、プロ野球選手になるよりも、プロ野球選手を辞めてからプロ野球で金を稼ぐことのほうが
さらにもっともっと圧倒的に厳しいのだ。
そりゃそうだ、チームの選手よりコーチのほうが圧倒的に少ないのだから。

まだいろいろと多くの方のその後を見てみたくなった。
ぜひ続編を期待する!!
<今回の取材対象予定者>

・河野博文(日本ハム - 巨人)

1984年ドラフト1位で日本ハムに指名された河野投手。88年には最優秀防御率を達成した。95年にFA権を行使して巨人に移籍。96年にはリーグ最優
秀中継ぎ投手となった。2000年のシーズンオフに現役を引退した河野は、野球教室を経て04年から妻の実家が経営する建設会社の事務員となる。野球の道
をあきらめ切れない河野に08年、ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスから声がかかり投手コーチに就任した。ようやく野球で生活
できると思ったのもつかの間、年末に実父が死去。


さらに09年春に妻の乳がんが発覚した。失意の日々を送っていた河野に次の試練が襲い掛かる。チームの資金難から群馬ダイヤモンドペガサスをシーズンオフ
に解雇されてしまう。家族も野球も失った河野は、健康であることの大切さを考え始めた。そんな矢先、彼は日本の農業改革を推進する人物に出会った。健康で
いられる基本は「食」。一緒に農業をやってみないかといわれた河野は快諾し、農家の協力を経て農作物の栽培、収穫に励むこととなった。野球から農業へ。全
く異なる道を歩み始めた河野博文が将来の夢を語る。


・門田博光(南海 - オリックス - ダイエー)

1969年南海に入団。小柄という肉体的なハンディを猛練習でカバーした門田は81年に33歳で本塁打王に輝く。そして88年には40歳で再び本塁打王
に。その活躍は同年代の中年男性を勇気付けるものだった。92年44歳で引退。引退後は野球解説者を務めていたが、2005年57歳のとき小脳梗塞で倒れ
てしまう。懸命なリハビリに努めた門田は野球殿堂入り。今は独立リーグ、大阪ホークスドリームの総監督として野球選手を夢見る若い世代を指導している。


そのほかの取材対象予定者

・愛甲 猛(ロッテ - 中日)

・ラルフ・ブライアント(近鉄)

ほか

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