テープに残すなんて、面倒くさいし、聞くほうが大変。
細かい突っ込みはおいておいて。
このドラマの副題
「愛するために 生まれてきた」
がどういう意味かを考えてみた。
結論から言うと、”誰が””誰を”っていうことではないと思う。
人は、誰もが誰かを愛するために生まれてきているのだ。
人は一人では生きられない。
ちなみに”愛する”を辞書で調べてみると、

あい・する 【愛する】(動サ変)[文]サ変 あい・す
(1)幼い者などを、かわいがる。愛情をそそぐ。
「子を―・する親の気持ち」「―・する息子へ」
(2)異性に心が引かれる。慕わしく思う。ほれる。
「夫を―・する」「あなたを―・しているわ」
(3)物事に、美しさ・良さ・価値などを認めて、その物を好む。
「こよなく山を―・した人生」「酒を―・する」
(4)かけがえのないものとして、大切に思う。
「祖国を―・する心」「学問を―・する」
(5)相手を尊重し、温かい気持ちで接する。
「真に民衆を―・した政治家」
(6)愛の行為を交わす。愛撫(あいぶ)する。また単に、なでる。
「二人臥して―・しつる顔よ/今昔 31」
(7)〔一説に「相する」とも〕機嫌を取る。調子を合わせて相手をする。
「是程の大勢の中へただ二人入たらば、何程の事をかしいだすべき。よしよししばし―・せよ/平家 9」三省堂提供「大辞林 第二版」
という意味があり、”愛する”恋愛の”愛す”だけではない。
だから、この
「愛するために 生まれてきた」
は結構良いサブタイトルな反面、どうとでも解釈できる点は
スタッフにとっては都合の良いサブタイトルともいえる。
心配なのは、不穏な伏線が張られていることだ。
未希が死んでしまうのではないか?死産になってしまうのではないか?
それでは、このドラマの評価低くなる。
その回自体は号泣する気もするが・・・だ。
そうはならないでほしい。
早く産んで、そこから育てていく過程を数回は描くべきだと思う。
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